日本には色んな神社やお寺があります。
しかし基本的に歴史のある建物が多いので自然色が中心の、、、失礼な話地味なものが多いです。
ですが日本にはそんなイメージを払拭するような絢爛豪華な神社がたくさん存在します。
今回紹介する日光東照宮もその一つです。
特にこの神社は国の一大プロジェクトとして創建した事もあって、恐らく日本で1番派手な神社なんじゃないかな?って思います。
- 日光東照宮とは?
- 御祭神、東照大権現様とは?
- 日光東照宮の見どころ紹介
「日光東照宮は聞いた事があるけどどういう所なんだろ?」
「祀られてるのは誰なんだろ?」
そんな疑問を持っている人はこのまま読み進めてください。
日光東照宮とはどんな神社なの?
日光東照宮とは栃木県日光市にある、徳川家康を神格化した東照大権現を御祭神とする神社です。
神社の名前の『東照宮』の意味は"東"を"照"らす"宮"、つまり『東から昇る太陽で日本を照らす』という意味になり、日本の守護神を表しています。
『東照宮』という社号は、東照大権現が御祭神の神社特有の社号になっています。
言うなれば日光東照宮は全国の東照宮の総本社ですね。
境内は絢爛豪華な建物が多く、毎年多くの観光客が来る栃木県の超人気観光スポットです。
日光東照宮の御祭神、東照大権現とはどんな神様なのか?
東照大権現とは徳川家康を神格した時の神号です。
前述したように、日光東照宮に祀られているのは徳川家康という武将です。
徳川家康について簡単に説明します。
徳川家康は1542年に松平広忠(まつだいらひろただ)から生まれました。
当時は誰が日本の天下を取るのか戦い合っている戦国時代、徳川家康もその戦火に飛び込んでいきます。
武田信玄に大敗したり(三方ヶ原の戦い)、豊臣秀吉を撃破したり(小牧・長久手の戦い)と戦国時代を駆け抜けていき、
1600年の関ヶ原の戦いで石田光成を倒したことで、1603年に江戸幕府を開きます。
戦を終わらせた英雄、徳川家康
これだけ見れば他の武将と基本的にやっている事は変わりませんが、徳川家康が行ったのは言うなれば戦乱の世の終末です。
今も昔も私たち庶民は戦争が嫌いです。
特に昔は戦が起これば田畑は荒らされるわ、農民は戦に駆り出されるはで碌なことが無く、
みんなして戦乱の世にうんざりしていました。
そこで徳川家康が天下統一を果たしたことで、ついに戦乱の世が終わり、日本は争いのない平和な国になったのです。
日本を平和にした英雄といえば、徳川家康が神格化されるのも頷けますね。
日光東照宮はどうして建てられたのか?
そもそも日光東照宮は1616年に静岡県の駿府城で息を引き取った徳川家康のお墓です。
とはいっても駿府城で亡くなってすぐに日光に移ったわけでは無く、最初は静岡県の久能山(くのうざん)に埋葬されていました。
久能山は今は久能山東照宮っていう神社になってるよ。
ですが徳川家康の遺言状に「一周忌が終わったら日光山に勧請して神様として祀ってほしい」という記述があったため、その時の徳川2代目将軍である徳川秀忠は徳川家康の遺体を日光に移しました。
これが日光東照宮の始まりです。
それから17年後の1634年、徳川家康に大変厚い恩義がある徳川3代目将軍である徳川家光による寛永の大造替(かんえいのだいぞうたい)が行われ、今の日光東照宮になったと言われています。
この寛永の大造替は当時の日本では国家規模の一大プロジェクトとして進められ、
江戸を始め全国からの宮大工が集め、数百億円規模の予算を投じたと言われています。
日光東照宮の見所
日光東照宮は僕も何回か行ったことがあるので、実際の写真を見ながら見所ポイントを紹介していきます。
日光東照宮は戦のない平和な時代をテーマとした建造物が多数ありますので、そこを中心に説明していきます。
黒田長政が送った大鳥居
日光東照宮に行くと、最初に目にするのが大鳥居。
この石造りの大鳥居は黒田長政という武将が寄贈したと言われています。
黒田長政は1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康と同じ東軍として戦い、その時の恩恵として福岡藩初代藩主となります。
この大鳥居はその時の恩として送られました。
福岡藩は九州にあって鳥居をそのまま運ぶのは大変だから9つの部品に分けて運んだと言われているよ。
鳥居をくぐった後に、門をくぐると有名な『見ざる、聞かざる、言わざる』が出てきます。
この3匹の猿は、この3猿の前に親猿が子猿に対して「悪いものにはふれてはいけませんよ」という教えを忠実に守り、悪い物を見ず、聞かず、言わないを行っています。
この猿の像は人間が産まれてから老人になるまでの一生を表しているとされていて、その後も恋や老化といった彫刻が続きます。
3猿は2013年~2018年の間に塗り直しをしたけど、見物客から「こんなんじゃない!!」って文句を言われたらしいよ。
これが日光東照宮の1番の名物と言ってもいい陽明門です。
あまりの美しい出来で日が暮れるまで見惚れてしまう事から別名「日暮れの門」とも言われています。
1908年に国の重要文化財にも指定されてるよ!
陽明門で見てほしい部分は陽明門の真ん中あたりにある子供たちの彫刻。
あの彫刻は『唐子の知恵遊び』と呼ばれるもので、子供たちが各々遊んでいる像です。
戦国時代は子供は親のお荷物となり、暴行を受けたり戦に駆られたりするなどひどい扱いを受けることが多かったですが、
このように笑顔で遊ぶことで戦乱の世が終わり平和が訪れたことを表しています。
陽明門をくぐるとすぐ目の前に唐門が出てきます。
唐門自体はどこのお寺や神社でもありますが、こちらも陽明門に負けず劣らずの豪華さを誇っています。
これも1953年に国の重要文化財に指定されてるよ!
唐門で見てほしいのは何と言っても陽明門よりも多い彫刻の数々。その数611体。(陽明門は508体。)
中央に見えるのは舜帝に謁見する大勢の役人の彫刻です。
舜というのは古代中国の架空の人物で非常に親しみやすく、自愛に満ちた人物だと言われていて、崩御するまで数々の人に影響を与えてきたと言われています。
徳川家康はこの舜帝をこよなく気に入っていたので、彫刻を作った職人はこの舜帝の顔を徳川家康に似せて作ったと言われるエピソードもあります。
最後は日光東照宮の名物、眠り猫です。
この眠り猫、「見た事はあるけどどんな意味なのかわからない」って人けっこういますよね。
まあ実際色んな説がありますが、有力なのが平和の象徴です。
眠り猫の裏側には猫の天敵である小鳥が木に止まっています。
つまり小鳥が猫の近くに止まっていられる=争いのない平和な世という意味が込められていると言われています。
ここは日光東照宮の中でも特に混んでる場所だから注意してね!!
まとめ
以上で日光東照宮についての説明を終わります。
正直まだまだ語る場所はあるんですが、長くなってしまうので今回はここまでとさせていただきます。
- 日光東照宮の御際神は徳川家康
- 徳川秀忠が創建して、家光が今のように改築した
- 日光東照宮は平和がテーマ
山奥にある神社なので、若干アクセスは悪いですが、参拝して損はない神社なので興味がある人は是非訪れてみてください。
以上で本記事は終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。