ちょっと遅れましたが先月の1月9日に誕生日を迎え、晴れて30歳になりました。
あの時お祝いリプやいいねをしてくれた方、ありがとうございました。
初めての人には最初に自己紹介をば。
僕はこのブログの管理人で、岩手県で産まれて岩手県で育った生粋の岩手っ子です。
特に目立つこともせず、今は神奈川県で社会の歯車として毎日銀行残高を見ながら生活しています。
ですが他の人とちょっと違うのは、生まれた時から小耳症という病気を持っていることですね。
かなりマイナーな病気なので知らない人も多いと思います。
この記事は小耳症と一緒に過ごした30歳までの半生を淡々と書いていく、そんな記事です。
正直僕の半生については興味がある人だけでいいんですが、せめて小耳症という言葉と、どんな病気なのかを知ってからブラウザバックをしていただきたいです。
また、もし今、小耳症関連について悩んでいる方がいれば、多少なりとも不安を解消できる手がかりになるかもしれませんので、
気になる人や興味がある人はこのまま読み進めてください。
小耳症ってどんな病気なの?
1. 疾患の解説
生まれつき耳の形が不完全で小さい病気のことです。片方の耳が反対側よりやや小さいものから、ほとんど耳がない状態のものまで、様々な程度の小耳症があります。また両方の耳が小耳症のこともあります。
引用:日本形成外科学会
小耳症に関しては、↑の引用文を参照してください。
ザックリ言うと片方の耳が塞がってしまい、音が聞こえにくくなる病気です。
形が普通の耳とは違う為、非常に目立ってしまうのが困った特徴です。
なので小耳症を患っている人は、形成外科手術をして耳を新しく作る人が多いです。僕もその一人です。
ちなみに僕が当時お世話になった先生が、現在永田小耳症形成外科クリニックの院長をなさっている永田 悟先生です。
外部リンク⇒永田小耳症形成外科クリニック
僕は正直くわしくは知りませんが、「耳の形成外科といったらこの人!」と言っていいぐらいの世界レベルの名医の方で、
多分僕以外でもかなりの人が永田先生のお世話になったんじゃないかな?って思います。
まあ、小耳症の症状に関しては僕があれこれ言うと、かえって混乱を招いてしまう可能性があるので、
気になる人は日本形成外科学会や永田小耳症形成外科クリニックのサイトを読んでみてください。
0歳~小学4年生まで
ここからがこの記事のメインです。
産まれてから今までどんな感じで30年間を過ごして来たのかを語っていきます。
最初に言っておきますが、あくまでも淡々と起こったことを話していくスタンスで進めていくので、ヤマもなければオチも無いです。
そこだけはご了承ください。
0歳から幼稚園入園まで
1991年の1月9日に僕は産まれました。
僕が産まれた時、主に2つの事で僕の両親が驚きました。
1つは産まれた時の体重。
産まれた時の体重は4200gもあったらしく、一緒にいた看護師さん達も非常にビックリしたらしいです。
ですがもう1つビックリする事が起きていました。右耳の形が変だったんですよね。
そう小耳症です。
この時の両親いわく「非常に不安だった」らしいです。
その事もあり僕の名前も、「小耳症に負けない元気な子供に育って欲しい」という願いを込めて名前を付けてもらいました。
とは言うものの、小耳症以外には特に体で悪い所がなく、いたって健康そのものだったようで、非常に順調に育ったと聞いています。
幼稚園時代のはなし
物心がついたころに幼稚園に入園しました。
この時から自分の右耳がおかしな形をしているのは分かっていましたが、正直そこまで気になっていませんでした。
というのも、何か事故で耳を失ったのならともかく、産まれた時から小耳症になっていたので、自分の中では本能的に小耳症とはどういうものなのかわかっていたんだと思います。
それに小耳症以外は特に他の子と一切変わらず、会話をしたり怒ったりできたので、自然と幼稚園の輪の中に入れていた事も大きいと思います。
僕の記憶が正しければ確か僕を好きになってくれた女の子もいたはず・・・。今は何をやっていたのかはわかりませんが。。。
とまあこんな感じで、幼稚園時代はなにも問題無く過ごすことができていました。
小学校時代のはなし
幼稚園を卒園して小学校に入学しましたが、これも幼稚園と同じです。
周りの友達も担任の先生も、僕に対して色眼鏡で見る事はなかったですね。
僕は特に仲の良かった友達に自分の小耳症をカミングアウトしたりしましたが、最初は驚かれることはあってもその後は普通に接してくれましたし、
先生も僕の事を贔屓せず怒る時は怒り、褒める時は褒めてくれました。
習いごとも問題無く行うことができて、その時はピアノや水泳、柔道なんかをやっていました。
ここまで何のトラブルも起きなかったのは、周りがいい人ばかりだからというのもありますが、
自分自身かなりのんびりした性格で、周りに対して卑屈になったり攻撃的になっていなかったことも大きいと思います。
それから小学校時代は順調に過ぎていきますが、小学5年生でついに小耳症の手術を行って行く事になります。
小耳症の手術
小耳症の手術を受けるまでの準備
前章では触れていませんでしたが、僕が幼稚園に通っていた頃から永田先生が運営していたクリニックに年に1回ペースで通院していました。
僕はその時なんでわざわざ関東に出向いていたのかはわかっていませんでしたが、新幹線に乗れることが嬉しすぎて特に気にしてませんでしたね・・・。
手術をする事を教えてもらったのは小学生になってからでした。
手術内容
小耳症の手術は「耳を新しく作ってくっつける」というものです。
これだけ聞くと簡単に思えるかもしれませんが、これがマジで大変な手術なんです。
というのも耳を作る為に必要なベースとなる骨を自分の腹部、および胸部から取らないといけないので、
必然的に体にメスを入れることになります。
それに骨をそのままつけると骨がむき出しの状態になるので、骨を保護するために、頭皮を剥がして耳に取り付けていきます。
僕の場合はあくまで形を作るだけなので、これでも比較的楽な方です。
僕と同じ病室には両耳が小耳症となっている人もいて、その場合は生活に支障が出るので耳の機能を回復させる手術をする必要がありました。
そして1番の問題は年齢です。
この手術はほぼ1日使って行うような大手術なので、それ相応の体力が必要になります。
以上のことから、手術は体力がある程度ついた小学5年生の時に行う事になりました。
小学5年生の時に行うかは個人差があるらしいので、全員に当てはまるわけでは無いです。
手術は大きく分けて2回行い、1回目は大まかに耳の形を作る手術。
2回目は半年ほど明けた後に微調整をする、といった感じです。
そしてなんだかんだ言って小学5年生にあがり、1回目の手術を受ける事になります。
小耳症の手術を受ける
僕が入院した頃、同じ時期に手術を受ける友達が5人ほどいました。
というかその頃は小耳症の手術の予約がたくさん入っていたらしく、誰かが退院したらまた次の人、また誰かが退院したらまた次の人、といった感じで入れ替わりで手術をしていましたね。
なので個人的には非常に心強く、恐らくそれは僕の母親もそうだったと思います。
肝心の手術は「メッチャ怖かった!!!」と言いたいところですが、幸か不幸か小学4年生の時に盲腸の手術をしたので、全身麻酔も手術室の雰囲気も体験したこともあり、そこまで怖くはなかったですね。
でも怖くなかった1番の理由は、同じ病室にいた友達が見送ってくれたからが大きいと思います。
入院生活について(最初の3日間)
手術は無事に終了しました。
永田先生曰く「今まで施術した中で最高傑作だ!」と言っていましたが、本当かどうかは不明です・・・。
手術を終えた後は3週間の入院生活が必要だったんですが、最初の3日間はマジで苦しかったです。
なんせ腹部を切開して骨を取り出したので、少しでもお腹に力を入れると激痛が走るんですよね。
手術した直後はあまりにも痛すぎて何回ナースコールを押したのか覚えていませんし、ものすごい大きな声で唸り声をあげていました。
この時は同じ病室に患者さんがいたはずなので、非常に申し訳ない事をしました・・・。
それにようやく歩けるようになっても、ほんの少しお腹に力を入れるだけで激痛が走るので手すりが無いとトイレにも行けません。
車いすを使おうにも同じ病院に入院している老人たちに占領されていたので、若さの力を借りつつ何とか過ごしていました。。。
ですがそんな痛みも徐々に取れていき、4日目からはすっかり痛みは引いてしまいました。
入院生活について(その後)
その後の入院生活は平和、というかヒマでしたね。
同じ病室にいる友達同士で遊戯王カードで遊んだり、将棋をしたり、週刊少年サンデーを読んで犬夜叉で誰が1番強いのか?という議論をしたりと、毎日必死に時間を消化していました。
気になる耳はというと、巨大なガーゼで頭を覆われていること以外は特に問題無く、耳が痛くなることは1回もなかったですし、それは他の友達も一緒です。
その後は何の問題もなく退院して、半年明けた後の手術も無事に終了。
ここまでなんの問題も起きなかったのは運が良かったよりも、永田先生の技術力が半端なかったことが大きいでしょうね・・・。
手術した後の生活
手術で作った新しい耳ですが、見た目は永田先生が褒めたように非常に綺麗にできたと思っています。
ただ・・・ものが当たった時がメチャクチャ痛いですね。
触るだけだったら問題無いんですが、なにか衝撃が走った時は左耳の10倍は痛いです。
これは30歳になった今もそうなので、今後も一生続くでしょう。
とは言っても「致命的な問題か?」って聞かれるとそうでもないので、まあ慣れですね。
というわけで手術も無事終わったのでめでたしめでたし。
・・・と言いたいところですが、実はちょっと続きがあります。
手術が終わってから半年ぐらい経ったとき、耳から血が出る事が多かったんですよね。
まあすぐにカサブタになって完治するんですが、頻度がものすごく多い。
たしか1週間に1回は出血→カサブタを繰り返していました。
これは明らかにおかしいと思った僕と母はすぐに病院に行き、検査の結果、耳が化膿している事がわかりました。
永田先生からは「あと1週間来るのが遅かったら手術&入院でしたよ」と言われ母と一緒にビックリしたのは今でも覚えています。
その後も僕がたしか20歳の頃に「耳に何か違和感があるな?」って思って触っていたら、手術で使った糸が出てきたりと何かとトラブルはありました。
というわけで手術が終わっても油断できなかったってことだけは言っておきます。
中学生~短大卒業まで
中学生時代のはなし
中学校に入学すると、小耳症については違和感のない耳の形になったという事もあり、極々普通の学生生活を送りました。
中学校辺りから気になってきたのは会話です。
中学生からの会話というのは小学生の会話よりも情報量が多くなるので、今までよりも注意深く会話を聞く必要が出てきます。
僕は耳の機能は回復させずに形だけ作ったので、右側から話されると聞こえない事もあり、非常に悩まされていました。
なので中学生時代からはその事に関して、よく人をイラつかせることがありましたね。
これは30歳になった今でもそうです。
それに小学生の時は気軽にカミングアウトしていた小耳症についても、思春期なのか友達に気軽に明かせなくなったこともあり、多少のギクシャク感は感じるようになりました。
とはいえ、友達や先生に話しても小学校の頃と対応は変わらないんですけどね。
反抗期のはなし
恐らく誰にでも来た事がある反抗期。
もちろん僕にもやってきましたが、僕は他の人のように親に激しく当たったり、喧嘩したりなんてことはしませんでしたし、できませんでした。
僕の性格が大人しいから、というよりも手術が全て終わって中学生に入ってから
「自分の耳の事でどれだけ親は心配したんだろうか。」
「手術費用や交通費もかかったんだろうな。」
「俺が学校で問題無くやれてるのか心配なのかな。」
といったように、親から今まで当然のように受けた愛情に対して考えるようになった事が大きいと思います。
実際、僕が産まれてから手術が無事に終わるまで、両親は僕が気が付いてないだけでものすごく苦労してきたはず。
実家も裕福という訳でもなく、上に姉が2人もいて更に父親だけで生計を立てていましたからね。
そんな考えが常に頭の中をグルグル回るようになっていると、反抗期に入っても、親に対して激しく反抗なんてできませんでした。
とは言ってもこれは主観での話だから親から見たらどうかは分かんないですけどね。
でも婆ちゃんにはメチャクチャ当たっていたのは覚えています。。。ゴメンね、婆ちゃん。
高校生時代のはなし
高校生になっても中学生と同じ。
カミングアウトは相変わらずしにくいですが、友達になった人には気軽に話すようにしてましたし、
学校の先生も僕に対して特別扱いをする事もありませんでした。
というか部活動でメチャクチャ怒られた・・・。
ただ。。。僕のクラスの中で耳の事を執拗に弄ってくる〇ソ野郎はいましたね。
僕自身不快感を感じたのはそうなんですが、
それ以上に「両親がこれを聞いたらなんて思うんだろう・・・」という思いが強くなり、
彼を含め、高校生時代からは僕の耳に関して悪く言う人は問答無用で遠ざける事にしていました。
これは30歳になった今でも継続しています。
実際、この〇ソ野郎が今どうなっているのかは知りませんし、同窓会に出席していると知ったらキャンセルするようにしています。
部活動についてのはなし
右耳が聞こえない事でよく「バランス感覚が狂うんじゃないか?」と友達や先生に言われたことがあります。
どんな原理なのか僕にはよくわかってないですが、恐らく
「五感が不完全な状態だからそれが身体能力に影響するんじゃないか?」
という事だと解釈してますが、これに関しては大丈夫だったと思います。
その根拠ですが、僕は高校時代は山岳部に所属していて、山登りやクライミング競技なんてのも難なくできましたし、大会の上位に入った事もあります。
恐らく突然聴覚が無くなったのなら話は別かもしれませんが、僕の場合は生まれつきなので、体が順応していたんでしょうね。
なので小耳症によってスポーツの影響は無い、と僕の経験則からですが判断しています。間違ってたらすいません。
ですが、武道やラグビーのように体が激しくぶつかり合うスポーツは絶対ダメです。
下手したら付けた耳が取れてしまいますから。。。
高校時代についてはそれぐらいですね。
受験はお金のことがあるので国立大学を目指していましたが、不合格になってしまったので短大に入学することにしました。
流石に浪人するだけのお金も無いですし。
短大生時代のはなし
短大時代も同じですね。
話す人には話す、話さない人には話さない。
ここまでくると、小耳症でも普通に生活できるんだな~って思うよりも、小耳症について考えなくなったって感じですね。
なんせ誰も特別扱いもしないし差別もしないので。
ですがそんな中、就職活動中についに事件が起きました。
就職活動のはなし
就職活動中にいま働いている会社に面接に行き、見事一発合格を貰った僕ですが、会社から「健康診断の検査結果用紙をください」というメールを貰ったので、僕はすぐに健康診断の結果を送りました。
数日たった後、就職担当の先生が僕のところに来てものすごい剣幕で怒ってきました。
先生曰く、会社が僕の健康診断の用紙を確認したところ聴力の欄が『要検査』となっており、それが先生のほうに問い合わせがあった模様。
この時の先生の剣幕は今でも覚えています。
「どうして面接で耳の事を言わなかったんだ!?」
「話す話さないの判断をお前が決めるな!」
「社会人として失格だこんなの!」とのこと。
正直言わなかった件は反省する所がありますが、言わなかったのは就職するまでの19年間、誰一人として僕を特別扱いすることは無かったし、なにより社会で働けると今までの生活から感じていたからです。
それに僕が行う仕事は設計業。
右からの音が聞こえづらい程度で支障が出る仕事ではありません。
そんな背景を無視して一方的に怒ってくる先生に腹が立って多少言い返しましたが、
「おまえの耳が作り物だろうがどうでもいい!」といったような差別的発言を数回言われ、流石に精神的にしんどくなってしまい、とうとう何も言い返せなくなってしまいました。
この事は両親にも伝わってしまい、僕の耳の事を作り物といった事(この発言はメールの文章にも残っていました)に対して裁判を起こす寸前まで行ってしまいました。
この時は本気で「俺は社会人としてやっていく事はできないのかな。。。」と自信をなくし、多分ですが軽く鬱状態になったと思います。
ですが、「もしここで僕が社会に出る事もなく、普通とは違う生活ができなくなってしまうと両親が悲しむのではないか」といった思いと、学校側の配慮やまわりの友達から慰められながらなんとか回復。
裁判沙汰になる事も回避され、就職は無事決まりました。
後日、採用を担当していた人と話す機会があったのでこの件を話したら「ただ単純に気になっただけで、その程度で内定を取り消すことはあり得ない。」と言われました。
つまりこの件は採用担当の先生が暴走しただけという事になります。
これを聞いた時、僕は怒りよりも社会に出ても問題ないという正当な評価を貰えたことが非常に嬉しかったです。
ちなみに僕はこの採用担当の先生は今でも嫌いです。
というか人生で1番嫌いな人です。
社会人~今まで
社会人になってからも今までとは変わりません。
それに部長に右側の会話が聞き取りにくい事を伝えると、僕に配慮した席にしてくれました。
もちろん金銭面で優遇されるといった事もナシです。
同僚も特に差別的な事を言わず、僕も仕事のミスは多いですがしっかり会社の一員として、仕事に励むことができています。
プライベート面でも
- バイクに乗る
- 旅行に行く
- キャンプをする
- 釣りをする
- 海に行く
- 恋愛をする
- ブログを書く
といった事もできています。
個人的にはバイクに乗れることが嬉しいですね。
これによって自分の移動範囲が大幅に広がったので、色んな経験を積むことができました。
それに恋愛関係も小耳症の話をするのはやっぱり勇気がいりますが、理解してくれる人もちゃんといます。
まあ、別れちゃったけど・・・。
これからの悩み
今までの人生を振り返ってみても、両親はともかく僕自身は多少〇ソ野郎に関わってしまったぐらいで、苦労した事はありませんでした。
ですが今後の人生で不安に思っている事があります。
結婚です。
僕はまだ結婚をしていませんが、正直結婚する勇気がないというのが大きいです。
というのも僕は結婚願望はありますが、もし子供を授かった時に僕と同じ症状が出ないかと非常に怖く思っています。
もちろんこれは僕の妄想で、小耳症の人が子供を作ったら子供も小耳症になるなんて聞いた事がありませんし、なにより僕の両親は小耳症ではないので、まったく問題無いと思っています。
ですがそれでも小耳症だけでなく、なにか子供に影響が出るのではないかとかなり心配しているのも事実です。
まあ、正直こんなの「結婚して子供作ってから考えろよ!」ってことなんですが、なにぶん色んな人生経験積んじゃっているもんで・・・。
ですが1つだけ確かに言えることは「たとえどんな病気を持っていたとしても僕の両親のようにしっかりと愛情を与えながら育てていく」覚悟だけは持っているつもりです。
あとは僕の趣味(旅行やお寺、神社)や小耳症に理解がある人が目の前に来てくれればいいんですけどね・・・。中々いませんよ・・・。
まとめ
これで僕の30年間のお話は終わりです。
長々と話してしまい、申し訳ないです。
この記事で僕が言いたいことは「この記事を読んだ人は俺に同情しろ!」ってことではないです。
- 小耳症という病気に付き合っている人
- それに対して不安を感じている人
といった人達が日本を含め世界中にいる、という事だけでもわかってくれれば僕は満足です。
たとえ自分が小耳症になってしまったとしても、僕の経験則で言わせてもらえれば普通の人と同じ生活ができますし、周りも特別な目で見る事はありません。
ですが、これには自分が小耳症に対してしっかりと向き合って生活し、決して卑屈にならない事や、周りの人からの理解が必要になります。
なので僕からは是非とも小耳症という名前だけでも覚えて欲しいなと思い、今回の記事を書かせていただきました。
以上で本記事は終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。