日本文化

太宰府天満宮や北野天満宮で祀られている天神さまとは誰?なぜ牛がいるの?

受験シーズンですね。

この時期になると普段よりもドっと参拝者が増える神社があります。

学問の神様である天神さまが御祭神の太宰府天満宮北野天満宮です。

今回はそんな天神さまに関してまとめてみました。

この記事のテーマ
  • 天神さまの正体
  • なぜ学問の神様と言われるのか?
  • 太宰府天満宮にはなぜ牛がいるのか?

この記事を読めば太宰府天満宮や北野天満宮を始めとする、天神信仰の神社に対する理解が深まるので、

気になる人はこのまま読み進めてください。

神道における○○信仰について

日本の神道には、神様を分祀して祀る○○信仰と呼ばれるものがあります。

例えば日本全国にある稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社を総本社とする稲荷信仰の神社ですし、

八幡神社も、大分県の宇佐八幡宮を総本社とする八幡信仰の神社です。

この記事で紹介する太宰府天満宮と北野天満宮は、全国で祀られている天神信仰総本社となります。

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ちなみに全国で天神信仰の神社は約1万社あるよ!稲荷信仰、八幡信仰に次いで3番目の規模だね!

天神さまとはどんな神様か?

天神様とは平安時代の偉人である菅原道真のこと。

菅原道真(すがわらのみちざね)は、平安時代に朝廷の最高機関である右大臣の地位に上り詰め、

遣唐使を廃止して日本の文化発展に多大な影響を与えました。

本来神社というのは日本の神話に伝わる神様を祀る社の事を言います。

しかし菅原道真や日光東照宮の徳川家康のように、

日本の歴史上において多大な功績を残した人物を神として崇めることは、決して珍しいことではありません。

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偉人が神様として祀られてる神社は他にも東郷平八郎を祀っている東郷神社や、織田信長を祀っている建勲神社があるよ!

もっとも、菅原道真が祀られた理由は別の理由ですが・・・。

菅原道真はなぜ、天神さまとなったのか?

学問の神さまと呼ばれるようになったエピソード

菅原道真は代々学者の家系で生まれ、当時大学寮の教授だった父親の影響で、

幼い頃から漢詩について非常に関心があり、11歳の頃には自分で漢詩を詠むなどの才覚を現したと言われています。

そんな菅原道真が18歳になった頃、父親がいる大学寮を受験する事になります。

大学寮とは今の時代でいう国立大学のような学び舎です。

学ぶ内容は当時の文化国である唐の言葉や歴史を学ぶことが中心で、大学寮を出た後の進路も天皇の元で働く事が決まっていました。

進路先が天皇の直属で働くこともあり、大学寮の試験は難易度が高い&定員が少ないと非常に狭き門でした。

特筆すべきは大学寮で最も難しい試験である方略試です。

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方略詩という試験は、230年の間に合格した人が64人しかでなかった超高難易度の試験と言われてたよ。

しかし菅原道真はその超難易度の方略詩の試験を突破してしまい、

最終的には父親と同じ文章博士という称号も獲得します。

このエピソードから、菅原道真は後に学問の神様と呼ばれるようになります。

藤原時平に裏切られ、太宰府へ・・・

大学寮を出た菅原道真はその後順調に出世していき、最終的には朝廷の最高機関である右大臣の地位まで上り詰めます。

この時の菅原道真の出世スピードはメチャクチャ早ったわけですが、それを面白く思わない人がいました。

当時の左大臣である藤原時平(ふじわらのときひら)です。

藤原時平は菅原道真を自分の脅威になると危険視し、九州の太宰府への左遷を計画します。

藤原時平は当時の天皇である醍醐天皇に

菅原道真は次の天皇の地位を奪い取ろうとしている

と嘘の密告を行い、醍醐天皇はその言葉を信じてしまいます。

そして藤原時平の計画通り、菅原道真は九州の太宰府への左遷されてしまいました。

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藤原時平以外にも菅原道真を疎ましく思ってた人が多かったから、計画が進みやすかったんだね。

菅原道真の祟りで京都は大打撃

無実の罪で九州で左遷されてしまった菅原道真は、903年に大宰府で亡くなってしまいます。

しかし菅原道真が亡くなってからというもの、京都では

  • 藤原時平の病死
  • 醍醐天皇の皇太子が2人亡くなる
  • 朝廷に落雷が落ちる
  • 疫病が蔓延

といったように奇妙な出来事が起こるようになりました。

これらの出来事は全て太宰府に左遷した菅原道真の祟りだと恐れた朝廷は、

京都に北野天満宮を建てて菅原道真の怒りを鎮めました。

理不尽な死によって亡くなった魂の事を御霊(ごりょう)といい、御霊の怒りを鎮めようとする信仰の事を御霊信仰といいます。

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平将門の首塚も同じく御霊信仰だね。

天神さまとしての菅原道真

雷や疫病を流行らせたことによって、当時の人々が菅原道真を火雷天神と呼ぶようになったことで、

菅原道真を天神さまと呼ばれるようになりました。

ここまで聞くと、菅原道真は恐ろしい怨霊のように聞こえるかもしれませんが、

次第に御霊の影が薄まり、江戸時代では学問の神様として寺子屋で祀られるようになります。

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江戸時代からは学問の神様としてのイメージが強くなってくるね。

太宰府天満宮と北野天満宮

天神さまの総本社は、京都の北野天満宮と福岡の太宰府天満宮の2社あります。

この2つの神社は両方とも菅原道真を祀っている神社です。

双方の違いとして、

北野天満宮・・・菅原道真の怒りを鎮めるための神社。

太宰府天満宮・・・菅原道真が眠るお墓。

と思って頂ければOKです。

天神さまのご利益は?

天神さまのご利益は下記の通りです。

  • 合格祈願
  • 厄除け
  • 五穀豊穣

第一に学問の神様という事で、合格祈願にご利益があります。

なので入試や資格の試験が近い人は参拝してみるといいですね。

また天神さまの由来となった火雷天神という気候の神様の側面も持っているので、

五穀豊穣にもご利益があるとされています。

なぜ境内に牛がいるの?

撮影:見付天神 矢奈比賣神社

天満宮、および天神信仰の神社には牛が配置されている事が多いです。

これには一つ、有名なエピソードがあります。

菅原道真が亡くなった後、菅原道真を運んでいた牛車が急に動かなくなるというアクシデントが起こりました。

この牛を見た人達は

菅原道真公はここに埋葬してほしいと言っているんだ!」と解釈し、

その場に太宰府天満宮を設置したからと言われています。

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菅原道真が丑年生まれだからっていう説もあるよ!

これらのエピソードから、牛は天神さまの眷属であると言われるようになりました。

まとめ

以上で天神様と菅原道真についての説明を終わります。

最後のこの記事のまとめをしましょう。

この記事の振り返り
  • 菅原道真は方略試を突破したから学問の神様と呼ばれた
  • 北野天満宮は菅原道真の祟りを納める為に創建した
  • 太宰府天満宮は菅原道真のお墓

少々怖い話をしましたが、現在では学問の神様としての側面が強いので、

安心して合格祈願を行ってください!

以上で本記事は終わりです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。